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グレプ (キエフ大公) : ウィキペディア日本語版
グレプ (キエフ大公)
グレプГлеб Ю́рьевич, ? - 1171年1月20日)は、キエフ大公。在位:1169年-1171年。父はユーリー・ドルゴルーキー。妻はキエフ大公イジャスラフ3世の娘。
ユーリー・ドルゴルーキーの第七子として生まれ、1147年の年代記記事に初めて登場する。
1149年に父ユーリーが大公位に就くと、彼はカネフを与えられる。
1151年にはペレヤスラヴリを獲得する。
1154年にはキエフを包囲するがこれに失敗する。
1160年にはペレヤスラヴリに援助を求めてきた岳父イジャスラフ3世を追い払う。
1168年には他の公と共にポーロヴェツ(クマン人)に遠征し、彼らを打ち破る。
アンドレイ・ボゴリュプスキーと共に、1169年にキエフを攻め、その陥落後に、兄により、キエフ大公位につけられる。
1170年には、ムスチスラフ(2世)によるキエフへの行軍を知り、キエフを捨ててペレヤスラヴリに退却、ムスチスラフの撤退後には再度キエフの大公位につき、そのまま1171年に死去。
彼の死後、キエフをドロゴブシウラジーミルが短期間占領する。
==妻子==
1人目の妻とは1154年に死別した。2人目の妻はチェルニゴフ公イジャスラフの娘(1155年もしくは1156年結婚)。子には以下の人物がいる。
*ウラジーミル
*イジャスラフ(ru)
*オリガ





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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